こけし屋の歴史
-その3-

鈴木信太郎原画 現在のこけし屋の包装紙


こけし屋とカルヴァドスの会(1)

こけし屋の場所は、戦前までは「大石洋品店」という洋品屋であった。
運よく戦災を免れ焼け残ったこの敷地を、洋品屋の息子の大石總一郎と従兄の安田善一が
甘味屋としてたてなおし、近隣の文化人をはじめ、たくさんの人々がこぞって集まるようになった。
戦後、世の中がまだ落ち着かない中、せめて文化的なことを吸収したいとの思いから、
毎週土曜日の夜に「こけし会」という、西荻界隈の文化人を講師に招き、
近所の店主や学生、主婦などを対象にした文化講座を開いた。

屋号の「こけし屋」の名づけの親は安田であった。
昭和24年の夏、店内にひっそりと飾られていたこけしを見た安田は
「国破れても日本の国の伝統は残っている。この店の名はこけし屋でどうだ。」と
言ったことから名付けられたという。

平成21年6月 「包装紙のなかの物語」 杉並区郷土博物館分館企画展 展示図録より

高橋健二画[カルヴァドス酒」